サイバーフロンティアの開拓者たちを描きたい
——「量子の北風」は、“量子アニーリング技術”を応用した暗号通信ソフトウェアTETRAの開発者・長沢恵一が犯罪グループと戦うサスペンス・シナリオですね。執筆の経緯・動機は?
umi
私は長くゲームプログラマーをやっています。以前在職していたゲーム開発会社で、会社のサーバーが激しいハッキング攻撃を受けたことがありました。3秒に1回のペースで不正アクセスが繰り返され、3日もすると1万件くらいのログイン失敗の記録が溜まっている。サイトの脆弱さを突かれて、空メールが大量に飛び交ったり、かなり酷い状態でした。攻撃ログをWhois検索にかけると中国・北京のビルがヒットして・・・。中小企業なのでサイバー攻撃に対して無力。対応策も分からず、お手上げ、あきらめ状態でした。そこで、情報システム室に居た私自身がサイバー攻撃の手口、ハッキングのやり方などを勉強して、対策を講じることにしました。脆弱性を見つけ強化するという実務的な対処を重ねる一方で、サイバー攻撃のテクニックを武器にして戦うゲームを作ったりもしました。ゲーム会社ですから、これは同僚にウケましたね(笑)。防御を固めていくにつれ、次第にアクセス数が減っていきました。サイバー攻撃に対して、毅然と対抗する組織風土を醸成することにも貢献できたように思います。これがきっかけとなって、会社のサイバーセキュリティ担当を拝命しました。そして、もっと面白いサイバーセキュリティ・ゲームを作りたくなって、個人的にシナリオ教室に通い始めたのです。
そこは、テレビ業界で活躍するシナリオライターの多くを輩出する有名な教室でした。座学ではいろいろなテクニックを学びました。例えば「リトマス法」という手法は、メインのキャラクターに他のキャラクターをぶつけることによってメインキャラクターの特徴を浮かび上がらせます。実践演習では毎回「窓」とか「男と女」とかのテーマが与えられ、それを軸にシナリオを書き下ろしていきます。私は、ハッカー集団が戦うストーリーを描きたくて、どんなテーマを与えられても必ずハッカーネタを入れ込んで書き続けました。1本20ページくらいのシナリオを、3年間で50本くらいにもなります。シナリオ教室の先生からは、「コンテストやアワードには積極的に応募しよう。それがプロへの登竜門になる」と発破をかけられていました。そんな時、友人が「サイバーセキュリティアワード」の募集を見つけて教えてくれたんです。そこで、その頃第一部を書き上げていた「量子の北風」を応募してみることにしたのです。
——「量子の北風」はフィクション部門の優秀賞に選ばれました。受賞の知らせを受けてから周囲の反応は?
umi
シナリオ教室の仲間たちがお祝いの会をやってくれました。会社では、目をかけてくれている先輩と尊敬する上司に褒めてもらい・・・、ちょっとエッジの効いたコンピュータエンジニアとして認めてもらえたように感じて、とても嬉しかったですね。実は、その先輩と上司、私が書くシナリオの中で主人公のモデルとして使わせてもらっているんです。特に私の上司はアメリカ人の天才的ネットワークエンジニアなんです。本当にスーパーなエンジニアで、日々、いろいろなことを学ばせてもらっています。
——その上司の方は、umiさんにとっては追いつき追い越したい目標なのですか?
umi
いえ、上司は尊敬しているのですが、後追いではなく、私は私自身の道を極めていきたいと思っています。本業には全力で取り組み成果を出しているという自負があります。例えば、1か月期限の仕事を5日で終わらせたりとか。それに加えて、ハッキングの技法や対応経験をシナリオにしたり、ゲームシステムとして落とし込み商品としてリリースしたり、私ならではの挑戦を続けています。そうした点を上司や同僚から評価して頂いて、ある程度自由にやらせてもらっています。中国出身のCGデザイナーと食事したり、日本人の若手プログラマーの席に行って世間話したり相談を受けたり、同僚とのコミュニケーションも広がっています。今、とても充実しています。一方で、ゲーム開発もハッカーの世界も、常人にはとても太刀打ちできない天才が活躍しています。普通のエンジニアなら問題解決に1か月かかるところを、天才は1日もかからず片づけてしまうような・・・。圧倒的な力量をもつスーパープログラマーやスーパーハッカーがサイバーワールドのフロンティアを切り拓いている——。そういう世界観を描きたかったので、上司をイメージしながらシナリオを書きました。ある読者からは「主人公が超人過ぎて、問題をどんどん解決してしまうので、ハラハラドキドキが少ない」なんていうコメントが寄せられたほどです(笑)。ゲーム開発の世界では便利なツールがいろいろと開発されてきていて、普通のエンジニアでも簡単にゲームを作れるようになってきました。それはそれで良いことだと思います。しかし、既成概念を破るようなゲーム、革新的なゲームは、皆が使っている開発ツールに依存していては生み出せないと思います。コンピュータ言語をしっかり学び、カーネル(OSの核心部分)を書き、自分でツールを作れるくらいの知識と経験を積まなければなりません。私自身、そういう骨太なコンピュータ技術者を目指して学んできました。ですから、天才的な上司を心から「尊敬」していますが、それは自分もそうなりたいという「憧れ」とはちょっと違う。天才には天才の、私には私の価値と役割があると思うのです。シナリオを書くことで、そういう問題意識を言語化しているのかもしれませんね。
——これからについてはいかがですか?
umi
自分はもう40歳なので、最先端の技術を極めていくことは難しいかもしれませんが、自分自身のオリジナルな技術開発なども仕事やシナリオの傍ら行っています。若い世代にはもっともっと高みを目指してもらいたいですね。若い人たちのモチベーションを触発するようなシナリオを書いていきたいと思っています。
——とても深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございます。ますますのご活躍を!
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量子の北風
作品紹介サイト
サイバーセキュリティアワード2023(授賞式は2024年3月15日に開催)の受賞者に“その後”を聞くインタビュー・シリーズ。フィクション部門 優秀賞「量子の北風」を」執筆したumi(迫田 海司郎)さんは、天才的プログラマーと慕う職場の同僚や上司をモデルにシナリオを書き続けている。サイバーワールドのフロンティアを切り拓いているのは圧倒的な力量を持つスーパーエンジニアだという現実——。それを描写し伝えたいという思いが、そこにある。(聞き手はサイバーセキュリティアワード事務局、以下敬称略)